19/空の下で-5 |
天気のいい日だった。視線を空へと向ければ雲が点々と存在するものの、それは決して太陽を隠すまでのものではない。森の中、少しだけひらけた場所がある、というサトシの言葉を聞いて大人しく自分より小さな背中の後ろをついていくグリーンは土の匂いを感じていた。今まで自分が知ることのなかった世界と研究所の中では全く環境が違う。それはすなわち、自分が力として利用する湿度などの環境も大きく変化するということだ。まずはその環境の違いに慣れ、今よりもさらに的確な力の使い方をしなければならないことはグリーンも感じていたことだった。 グリーンがサトシに訓練してください、と言われたのはつい先日のことだ。普段、サトシはシゲルと戦闘訓練を重ねていたのだがサトシには恐れと言ってもいい歯がゆさがあった。 ――シゲルは、何も知らないから。 いつか言わなければならないことがある。けれど、まだ自分にはその覚悟はない。本格的な訓練をするならば自分と同じ実戦訓練を受けてきて、かつ自分のことを"制御"できる人間――すなわち、グリーンが一番適切なことくらいは、サトシにもわかっていたのだ。 「この辺りか?」 「シゲルとはいつもこの辺りで修業してます」 「なら、構わないな」 「はい!」 どさ、とグリーンは荷物を置き、サトシと距離をとる。救急セットをあるだけ詰め込んだ荷物は若しも何かが起こってからでは遅いための保険だった。グリーンとて、サトシと戦闘して無傷でいられるかはわからない。 「武器は?」 「あ、オレ、素手なんです。レッドさんに習ったんで!」 「せめてグローブをつけろ」 「……め、めんどくさくて」 「お前な……」 居心地悪そうに唇を尖らせたサトシとその足元で苦笑いを浮かべたピカチュウを横目で見ながら、グリーンはきょろ、と視線を滑らせて自分の武器の代用となるものを探す。ふと目にとまった長めの木の枝をこれでいいか、と拾いあげた。 「けが、するぞ」 「だいじょーぶですっ!グリーンさんは……?」 「なぎなただ。今はないけどな」 「え、じゃあそれ?」 「これで充分だろう?」 にやりと笑ってやれば思った通り、むっとした表情を見せるサトシは未だ幼いものだと思う。だが、サトシと戦闘するにあたって木の枝では充分などとは勿論冗談でしかない。長期戦にするつもりはなかったし、お互いに本気になってしまえばここいら一帯が破壊されてしまうことは分かっていたので、そのレベルの戦闘しかしない、という線引きの意味であったことをサトシは気付いていたのだろうか。 「いくらなんでも、木の枝には負けませんからね!」 「それはどうかな?」 「絶対、勝つ!」 「ピッカチュウ!」 「サトシ、先に言っておくが、俺は"水しか使わない"から、全力でかかって来い」 グリーンの適性は二つある。水ともうひとつの彼の要となる力だ。サトシもそれを知っていたが、それと同時にその力の不安定さと危険性も知っていたため、グリーンの言葉を理解して首を縦に振って了解を示した。 「ピカチュウと一緒でいいですか。いつもそうやって――」 「ああ、知っている。もちろん構わない。いつも通りにやれ」 構えろ、と言うグリーンの声がひどく響いた気がした。 「いくぜ!」 サトシの声を合図にピカチュウも同時に走りだすが、グリーンはそれを見据えたまま微動だにしない。ぴり、と空気が動き、サトシの振りかぶられた腕にバチリと雷の影がうつる。グリーンはそれを捉えた瞬間、的確に、無駄のない動きでそれを受け流してみせた。あ、とサトシが思った時は遅く、その足元すらグリーンに軽くすくわれてしまう。 「わ……――っ!」 「軸はしっかりと、な」 崩れかけた体勢から柔軟に蹴りを仕掛けるものの、軸足を木の枝が乱してくる。体勢を整えようと踏みとどまり、サトシはグリーンを挟んで少し離れた位置にいたピカチュウとアイコンタクトをとれたことに笑みを浮かべた。 「いけ、ピカチュウ!」 「ピカッ!」 ――電光石火! スピードに長けたピカチュウはもちろん伊達ではない。彼のスタート地点が少し離れたところであることから、次に来るのが電光石火であろうことを読み、グリーンはパキ、とみずのいしを砕く。そこから生まれる膨大な水流は小さなピカチュウを捕え、その水圧で吹き飛ばした! 「っ、ピカチュウ!!……こ、の!」 サトシはいしを使わない分、対応は素早い。小ぶりの雷の塊を手の中に作り出し、それをグリーンに向かって飛ばす。光の速さで迫りくるそれを水で弾け飛ばすことなどは出来るわけがないことくらいわかっていた。そしてその時、空気が凍った。 「もう、一発!」 氷の檻に閉じ込められた雷の球ははじけるように霧散し、サトシはそれが消え去るよりも早く次の塊を作りだし、狙いを定めようとした――が、グリーンはそれよりも速い。はあ、と小さく息を吐いて手に持った木の枝の先をサトシの首の裏に突き付けていた。 「え、わ……!?」 「反応が鈍い。なまったか」 「ちょっと油断しただけ……っ」 「本気でこい、サトシ」 グリーンの視線には隠したいものも全て引き出されてしまいそうだと思う。使いたくない力、自分でもおそろしいとすら思える雷の力。それを使え、と言っているのだと雰囲気で分かってしまう。 ――でもきっと、大丈夫。 守りたいものがある今なら、きっと扱うことができるだろう。目の前の彼と距離をとり、じっとサトシはグリーンを見据えた。するとばちばちと周りの空気が帯電し始めた。ぴりぴりと空気が肌を傷つけてきそうだ、と対面すると思う。 「今度はさっきみたいにはいかないぜ……っ!」 わかっていた。この皮膚を破られそうな空気は久し振りに感じるものだ。自分も気を抜けないな、と思い、グリーンはその空気中に帯状に水を創出する。その水はぱりぱりと端から凍りついていき、確かな形を見せる――それは、氷の龍だった。 サトシの周りの空気は、既に音を立ててはじけ始めていた。もういつ強い電撃が来ても不思議ではない。グリーンは目の前に立っているサトシの姿を見つめるその目をほんの少し細める。彼の潜在能力は自分の知る誰よりも高い、それを改めて認識していた。 「怪我しても、知らないですよ……!」 「遠慮はいらん」 「じゃあ、遠慮なく!!」 あまりに強く帯電したその空気にびりびりと自分の体も痺れていることを感じていたサトシは、今だ、とその自分の力を以って抑制していた空気を全て解放する。 「行け」 グリーンのその小さな呟きを聞いて、氷で形作られたまるで咆哮すらあげているような印象を受けさせるその龍はサトシに向かって一直線に突進した! 「ピカチュウ!」 「ピカッ!」 その氷の龍に怯むことなく、ピカチュウはサトシの呼び声に応えた。驚くべきことに、ピカチュウはその氷の龍に飛びついたのである。びりびりと震える空気と呼応するようにピカチュウの赤い頬袋が電気に帯びた。 「ピーッカチュウゥ!!」 空へと向けられていた腕をサトシが思い切り振りおろすのとピカチュウが電撃を放つのは同時。二人の電撃はグリーンによって作り出された氷の龍を砕き、破壊する。そしてその直後、サトシは氷のかけらを這うようにしてグリーンに向かって電撃を放つ。チッと舌打ちし、破壊されたその元は氷の龍であったかけらを砕き、電撃を断ち切ったグリーンは体勢を立て直そうと後ろに引いた――が。 「甘いぜ!いっけえ、ピカチュウ!」 「ピカ!」 背中に重さを感じてからでは、遅かった。まずい、と薄い氷の壁で防御しようとしてもピカチュウの電撃の速さには間に合わない。 「ピーッカー…チュ――ッ!!」 決まった、とガッツポーズをとった瞬間、首元にグリーンが手にしていた筈の枝が見えて、サトシは思わずうげ、と情けない声を上げてしまう。 「残念だったな、それは水で作った影だ」 へと、と力を抜いてサトシはそのままその場にへたり込む。ピカチュウはすぐさま駆け寄り、サトシと一緒に息を吐いた。あと少しでこちらがやられるところだった、と思いながらもグリーンは決してそれは言わない。焦げ付いた服をつまみ上げ、確かなサトシの強さに思わず微笑んでしまう。 「なかなかいい線だったぜ」 「うう……」 「始めはどうしようかと思ったが、すぐに精度を取り戻せたな。この調子で訓練すれば、今まで以上に戦えるようになるさ」 「本当!?」 音がつきそうなほどの表情の変化に笑いを噛み殺しながら、グリーンはああ、と首を縦に振った。 「見込みがあるのは確かだ。機転を利かすこともできるしな、サトシは」 「やったー!ピカチュウ、褒められたぞ!」 「ピカピッカ!」 「ただし……そこで満足するようなら、まだまだだがな?」 サトシはピカチュウを抱き上げたまま、先程は緩ませていたその顔を引き締め、グリーンをまっすぐに見据えて頷いた。その目には迷いはなく、強い意志を垣間見ることができる。ようやく、サトシは生きて自分の足で歩き始めたということだろうか、とグリーンはふとそう思った。 「わかってます。オレ、もっと強くなってぜったいシゲル追い越すんだ」 「シゲルか…あいつは導術の欠点利点を全て知り尽くしてるからな…間違いなく力押しでは勝てんだろう」 「それでも!……オレにだって、出来ることはあるはずだから、やります」 ぐっと握りこんだ自分の拳をサトシは見つめていた。この手のひらで、この手でどれだけのものが守れるかわからないけれど、どれだけ強くなれるかはわからないけれど、だけど誓ったのだ。たくさんのものを傷つけた自分は捨てて、これからは大切なものを守ることのできる自分になろうと。 ――僕が君を守ったように…守る力をつければいい。 シゲルの言葉が耳を打つ気がした。 「精進しろ。シゲルも俺も、はじめから強かったわけじゃない」 「しょーじん?新しいポケモンですか?」 撫でていた頭が傾き、じっと見つめてくる二対の目を目の当たりにして、グリーンは大きくため息をついた。 |
2009.11.17 |