11/見えない傷-3 |
その日、シゲルの様子がおかしかったのだ。オーキドにシゲルが目を覚ましたことを伝えに行き、もやもやする思考を振り払ってまたシゲルの傍らに居座り、ゆっくりと話をしていたのだ。それは何でもないような話で、マサラの好きな場所や市場にどんなものが売っているだとか、そういう他愛もない話。まだわだかまりは残っていたけれど、いつか消えるだろうと笑いながら話した。友達、という響きはなんだかとてもむずがゆい、とシゲルはそれでも嬉しそうに笑ってくれた。それだけで嬉しかった。そしてその日は、疲れ果ててシゲルのベッドに突っ伏してそのまま眠ってしまったのだった。 そして目が覚めた時には、シゲルの様子がおかしかった。また上手く笑えてない。本人の自覚はなく、サトシはまた不安になる。まだ疲れがとれてないんだろうとまだ寝てた方が、というサトシの言葉を無視してシゲルは起き上がる。 「やっぱり具合、良くないんだろ?寝てろってば!」 「大丈夫だよ」 「だめだって…!」 無表情だったシゲルの顔が急にこわばった。サトシが驚いて思わずシゲルから手を離すと、シゲルは急に階下へと走り出す。何かがおかしい。こんなの今までなかった。何が、どうしたんだろう。サトシは混乱したままそれでも友達の、シゲルの身を案じて彼を追って階下へと走って行く。 「お前ら…そこで何をしている」 「は!何かと思えばただのガキじゃ…――ッぐあ!?」 シゲルがオーキドの研究室に入ったその物音に驚いたのだろう、その場にいた男たちは焦ったように扉の方に振り向いた。が、視界に入ったのがまだまだ幼い少年だったことに油断して、へらっと笑ってみせたのだ。それでも、シゲルの行動は早い。白衣のポケットに入れてあったリーフのいしを素早く手に取り、その力で現れた蔦で男を絡め取り、捕らえて締め付けたのだ。まさかそんなことになると思っていなかったのか、子どもが相手だと言うだけで気を抜いた男たちは予想できなかった状況に目を見張っている。 「な、なんだこのガキ…!!」 「二度は言わない。……この町から離れ二度と足を踏み入れるな」 「そう簡単に引き下がると思ってんのか?!」 「へへ、そうだぜ…研究資料だけでも相当な価値なんだからなぁ!」 「――…もいいんだな」 「あ?なんだって?ガキは大人しく――…な、に……?」 ぼそりとシゲルが呟いた言葉を聞き取った人間はその場にはいなかった。握り締めたリーフのいしに力を込め、シゲルは冷えきった目で蔦で締め付けるその力を強め、死角から襲いかかってきた男を見ないままに新しく出現させた蔦でその心臓を一突きした。 「…お前らも」 「……な、何かこのガキ、やばくねえか…?」 「っ、資料はいただいたんだ!ずらかるぞ!!」 「……死ね」 「ひ、ッ――」 今まで蔦であったそれには鋭いとげが生え、蔦は一瞬にして茨へと姿を変える。茨は生きているかのように逃げようとした男たちをとらえ、その急所を確実に捕らえて息の根を止めていく。蔦でとらえられていた男は真っ青になり、その拘束から逃れようとしたがその抵抗も空しく、彼を捕えていた蔦も茨へと形をかえ、茨は血を吸うようにして震えていた。 断末魔すら叫べないまま、男たちは絶命するしかなかった。 「が…っは…」 「……まだ息があったか。可哀想なことをしたね」 「っ、シゲル待っ…!!」 シゲルの手元に現れた氷の刃で男は確実に貫かれ、そこで息絶えた。部屋に飛び込んできたサトシの抑制の声など聞こえていないような、なめらかな動きと躊躇いのない攻撃だった。 「…あはは」 「シゲ、ル…?」 「はは、あはははははは」 ざく、ざく、ざく。みずのいしの効力の所為でひどく冷えた空気の中、シゲルは絶命していることがわかりきっている男の身体をそれでも繰り返して切り刻み、傷め付け続ける。ぞくりと背筋が粟立つのを感じた。この部屋は、殺気に溢れすぎている。 「っ、シゲル!やめろ!!何やってんだよ!?」 「あははははははは、はははは」 「――ッシゲル!!」 たまらない気持ちになってサトシはぎゅうとシゲルの背中に抱きついた。 ――もうやめろよ、それは痛いから、やめようシゲル。傷つけるお前も一緒に傷つくんだ、だから。 抱きつかれた体制のまま、シゲルの笑い声がぴたりとやんだ。彼の身体は微動だにしない。落ち着いたのだろうとサトシはほっとした。 「…シゲル…これ、全部お前が……しげ、る…?」 シゲルが振り返る。冷えたなんてものじゃない、ひどい殺気をシゲルはサトシに浴びせかけていた。逃げろ、と脳が警鐘を鳴らす。でもサトシにはわかっていた。 ――逃げられない。 にこ、と笑って見せたシゲルを見て動けずにいたその刹那、男たちの身体に絡みついてた茨がサトシの身体をとらえた。力が強まるたびにその棘が身体に食い込み、サトシの肌を傷つけていく。ぶすりぶすりと棘が刺さるその痛みにサトシは顔をゆがめるが、その視線はシゲルから外されない。 「シゲル、シゲル……っなん、で…ッ!!」 痛みはどんどん加速し、締め付けられる圧迫感から息をすることが困難になっていく。手足に力は入らず、ただくらくらする思考の中、それでも、とシゲルに必死に手を伸ばそうと霞む視界の中で彼の姿をさがした。次第に声が出なくなり、口の中は鉄の味でいっぱいだった。苦しくてたまらない、でもそれ以上に悲しかった。誰より苦しいのは、痛いのはシゲルだ。サトシは悲しかった。シゲルが自分のことを傷つけたからではなく、それゆえに苦しむだろうシゲルが、今自意識すら失い力を行使するシゲルが、それを救えない事実が、サトシは悲しくてたまらなかった。 ――ごめん、本当にごめんな。苦しいよな、助けられなくて、ごめんな… シゲルへと伸ばされた手が力を失くし、重力に従うようにしてゆっくりと落ちた。その指先からはぽたぽたとサトシ自身の鮮血が流れていく。 「………?」 「――…」 「……、あ…れ…」 頭がくらくらする。自分はいったい何をしていたのだろう。この酷い匂いは、なんだろう。めまいを堪えたシゲルの目の前に広がるのは、悪夢のような光景だった。血の海、ボロボロの見知らぬ男たち。耳が痛いほどの静寂がそこにはあった。 「………え…?」 散乱する資料、普段よりずっと荒れたオーキドの研究室。 「侵入者、か…?」 そして、自分の足もとには。 「…サト、シ…?」 血の気が引くという感覚を思い知った。自分の体内の血液が、確実に足元へ向かって落ちていく。大きく成長した茨がサトシの身体に絡みつき、その小さな体からはどくどくと真っ赤な血が流れている。なんてことを。焦りながらサトシに絡みついた茨を切り裂き、シゲル自身の手にも傷がついていく。 「サトシ!サトシ!!」 ――僕は、なんてことをしてしまったんだろう。 どんなに願ってもどんなに手で押さえても、破り裂いた自分の白衣で止血しても、サトシの身体から流れ出ていくその血液を止められないまま、シゲルはサトシの名前を呼び続けた。 |
2009.6.23 |